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【ポスト印象派の基本】知っておくと得する絵画の見方

編集・ライティング

シブヤ ユウキ

早稲田大学文化構想学部文芸・ジャーナリズム論系卒業。雑誌の自主制作やクリエイターチームの結成などを行い、Web制作会社にディレクターとして入社。その後、フリーランスのディレクター・イラストレーターを経て、オウンドメディアのライター・コンテンツディレクターとなる。現在はマルチクリエイターとして活動中。

美術館に行って芸術に触れながら、帰りはコーヒーでも飲んでゆったりしたい。そんな休日の使い方をしたいと思った人も多いのではないだろうか。今回の記事では、美術史の中でも特に人気の高い「印象派」と「ポスト印象派」に焦点を当てて紹介していこうと思う。

専門的で深い知識を知っていただきたいわけではなく、あくまでも美術に興味をもつ「きっかけ」になればと思い、記事をまとめた。ご参考までに。

そもそも「印象派」って何?

「ポスト印象派」について知る前に、その前身となる「印象派」についても少しばかり触れておきたい。というのも、美術には綿々と連なる歴史が存在し、常にその時ある芸術表現に対抗するように新たな表現が生まれてきたからだ。

19世紀後半の芸術運動としての「印象派」

それでは「印象派」とは何なのか。印象派が現れる当時の美術界といえば、歴史が、肖像画、静物画の順で評価が高かったとか。しかし、印象派はそこにメスを入れて、当時タブー視されていた裸婦を描いたのです。特に娼婦を描いたことが印象的。

このように、当時のアカデミックな絵画に反骨して次々と名乗りをあげた画家たちによって結成されたのが「印象派」ということになります。

「印象派」の代表的な作品たち

「印象派」には数多くの著名な画家がいるので、どこから学べば良いのやら、と悩むかもしれません。そこで、いくつかの主要な人物に絞って紹介します。

「印象派の父」と呼ばれたエドゥアール・マネ

まず、「印象派の父」と呼ばれたエドゥアール・マネ。彼は先駆けて娼婦を描き、それがサロンに提出されるや否や、たちまち問題になり、絵を破壊されそうになったのだとか。しかし、彼の動きに触発されるようにして、後の画家が続きます。

「印象派」の名付け親であるクロード・モネ

「印象派」の名付け親であるクロード・モネも有名。海の風景画を得意とする画家のウジェーヌ・ブーダンを師と仰ぎ、彼とのスケッチを通して、光を感じながらその瞬間を描いていくことに腐心したモネ。1874年に当時のサロンに反対的だったカミーユやルノワールを集めて「第1回印象派展」を開催したことが、「印象派」の本格的なスタートになります。

そして現れた「ポスト印象派」

そんな反骨精神の中で生まれた「印象派」だったが、その結びつきも1880年代以降、徐々に薄まっていくことに。そしてついに1886年の「印象派展」で終焉を迎える。

その後を埋めるように、「ポスト印象派」の時代が始まるのだ。

「印象派」の”続き”ではなく、「脱印象派」だった

「ポスト」と聞くと「続き」「その座を譲った」のように解釈されがちだが、実はそうではない。「ポスト印象派」とは「脱印象派」だったのである。

印象派が「見たままの風景の一瞬を捉え、光まで描くのに対し、ポスト印象派は風景をそのまま描くのではなく、自分たちが見たときに感じた感情を絵で描き表している点が注目ポイントだ。そういった意味で、ポスト印象派は印象派からの脱却をはかり活動していく。以下で紹介する3人の作品が「マネと後期印象派展」に出品されたことから「ポスト印象派」は始まる。

代表的な画家:ポール・セザンヌ(1839-1906)

現代絵画の父とも言われるポール・セザンヌ。代表作の《リンゴとオレンジ》は同じ対象物を複数の視点から見つめ、それらを単純化してキャンバスに落とし込むという「構築主義」という表現方法を得意としていた。一見、ただの静物画に見えるこのような作品にも、当時としては新しい取り組みがなされていたのだと思うと、歴史を辿るのが楽しくなる。

代表的な画家:ポール・ゴーガン(1848-1904)

元は印象派のピサロに連れられ、印象派展にも出席したゴーガン。しかし、絵の売れ行きは鳴かず飛ばずで、妻にも見限られ画家仲間とパナマ共和国へ。

色彩をぶつりと分断するような、印象派に対抗する「総合主義」を武器に、太い輪郭線や平面での塗り方など、当時パリで流行していた浮世絵の影響を受けていると言われている。

ゴッホとの壮絶な2ヶ月間の共同生活があったようだが、それはまた別の話…。

代表的な画家:フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-90)

「名前は耳にタコができるくらい聞いたことがあるけど何をした人?」というイメージを持つ人も多くいるかもしれない。彼は美術の専門的な教育は受けておらず、レアリスムや印象派、浮世絵などから絵画を学んだとか。

生涯に売れた絵は1枚だけで、少々不遇な作家ですが、以上の絵のように夜を描く際にも「黒」を全く使わないなど、彼なりのルールや信念があったことだろう。

まとめ

以上、簡単にではあるが「ポスト印象派」について見てきた。ひと口に「ポスト印象派」と言っても、「構造主義」や「総合主義」など多種多様である。

もしかしたら、単に「〇〇派」と一括りにまとめるのも正しいとは限らないのかもしれない。今回紹介した画家以外にも、ピサロ、スーラ、ロートレックなどがいます。気になった方はぜひ深掘りしてみてください。

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