ORIGINAL-FEATUREオリジナル・特集

【簡単解説】これだけ読めばなんとなく分かる「キュビスム」の歴史

編集・ライティング

シブヤ ユウキ

早稲田大学文化構想学部文芸・ジャーナリズム論系卒業。雑誌の自主制作やクリエイターチームの結成などを行い、Web制作会社にディレクターとして入社。その後、フリーランスのディレクター・イラストレーターを経て、オウンドメディアのライター・コンテンツディレクターとなる。現在はマルチクリエイターとして活動中。

ピカソの特徴的で独特な絵画で知られる「キュビスム」は、美術の教科書を見れば必ず載っている。子どもの頃なんかは「こんなの自分でも描けそう」と思ったことがある人も多いのではないだろうか。しかし、実はキュビスムはそれまでの西洋美術の大きな転換点になる重要な役割を担っていたのだ。この記事では、そんな「キュビスム」について簡単に解説していく。

キュビスムって何?

それでは、そもそも「キュビスム」とは何なのか。西洋美術史には「〇〇主義」や「〇〇派」のような芸術様式のグループが登場するが、キュビスムもそのうちのひとつだ。

以下でキュビスムの概要と代表的な2人の画家についてみていこう。

パブロ・ピカソについて

「キュビスム」の始まりは、1907年のピカソによる「アヴィニョンの娘たち」という作品からだとされている。角張った体やよじれた顔の表現に、写実的な絵画を求めていた当時の人々は驚いたという。

時代の潮流に沿っていなかったため、初めは評価されず、周りの画家の仲間からの反応も良くはなかった。しかし、後述するジョルジュ・ブラックがピカソの「キュビスム」の重大さに気づき、跡を追うように制作。1911年の第27回アンデパンダン展で大々的に発表された。

その時も酷評をくらうものの、めげずにキュビスム的な作品を制作し続け、その影響はパリからヨーロッパ全土へと広がっていった。

ジョルジュ・ブラックについて

いち早くピカソの「アヴィニョンの娘たち」を評価し、「キュビスム」の革新性に目をつけたのがジョルジュ・ブラックという画家。1908年頃からキュビスム的な作品を次々と制作していき、当時の作風はピカソと見分けがつかないほど似ていたという。

元々はセザンヌの影響を受けて、ポスト印象派の流れをくむ風景画を描いていたが、キュビスム的な絵画や、新聞などの切り抜きを用いたコラージュなども行い、20世紀の美術に大きな影響を与えた。
このようなコラージュ的な作品は1910年代以降に制作することが増え、「パピエ・コレ」と呼ばれるようになった。

キュビスムの歴史

ここまで、キュビスムを代表する2人の画家についてみてきたが、一体キュビスムはどのような経緯を経て生まれたのだろうか。簡単にではあるが紹介したい。

従来の高貴な芸術への反発

1800年代後半までは、パリのサロンで開かれる展示会などをはじめとして、ヨーロッパ全土で「一点透視図法」を基本とした「写実的」な絵画が求められてきた。

特に宗教画や歴史画などが高貴なモチーフとされ、風俗画や静物画にはあまり価値がおかれなかった。中でもルネサンスの時期は宗教画の地位が高いだが、17世紀のオランダで描かれた宗教的な意味をもった静物画である「ヴァニタス画」をはじめとして、徐々に絵画で扱われるモチーフが変化していく。

その転換点になるのが「印象派」の登場。ルノアールやモネが筆頭の「印象派」は、それまでのデッサンや遠近法重視のパリのアカデミーの方針に逆らうように、光をそのまま描くということに挑戦した。

後期印象派の影響

そんな「印象派」の流れを組んで、さらに伝統を破壊したのが「後期印象派(ポスト印象派)」だ。後期印象派はセザンヌ、ゴーギャン、ゴッホなどが代表的な画家であるが、その中でもセザンヌは遠近法を崩した風景画を得意とし、ジョルジュ・ブラックも師事するなど、のちのキュビスムに大きな影響を与えた。

セザンヌの絵画はデフォルメされたものになっており、「近代絵画の父」とも呼ばれている。

キュビスムが与えた影響

こうして生まれた「キュビスム」は、後の20世紀美術にどのような影響を与えたのかについてもみていこう。まず、初期のキュビスムを「分析的キュビスム」と呼び、その後の後期のキュビスムを「総合的キュビスム」と呼ぶ。

特に「総合的キュビスム」以降は、前述したジョルジュ・ブラックの「パピエ・コレ」が流行したり、ピカソやブラック以外にもキュビスムの担い手が現れたりした。また、キュビスムの影響はヨーロッパ全土に広がり、機械的な物質などを扱う「イタリア未来派」がマリネッティを中心に勃興した。

他にも、ロシアの前衛芸術家たちによって1917年以降、「立体未来主義」が生まれるなどした。日本でも、岡本太郎が留学に行って影響を受けるなど、20世紀を代表する芸術のひとつとなった。

まとめ

このように「キュビスム」は印象派の流れをくみながら、19世紀までの芸術のあり方と決別する、非常に重要な運動のひとつだった。その影響はヨーロッパを中心に、日本にも渡ってきているので、ぜひ美術館を訪れる際には、展示されている作品が何の流れをくんだものなのか、知っておくと面白いかもしれない。「自分でも描けそう」とは到底思えない作品であることがわかっていただけたであろう。

少しでも19世紀の美術史に関心が湧いた方はこちらの記事もどうぞ。

どうぞお気軽に
お問い合わせください

プレスリリース、広告掲載、その他クリエイティブの制作依頼などは、
下記からお気軽にご相談ください。ご質問、ご意見も受け付けております。